岸辺露伴は動かないの感想(実写ドラマ)その②

②くしゃがら

大学教授が「くしゃがら~」と叫ぶシーンから始まる。餓死。

その新聞記事を発見し「読んでみたかったな~」と首をかしげてタイトル。

泉京香家に来たけど留守。

泥棒入るぞ!

カフェでお茶していたら今回のむしろメインとも言える志士十五(森山未來さん)が相席スタートしてくる。

志士十五の荒々しいイメージピッタリの風貌。

岸辺露伴も志士十五も演技上手すぎじゃあない?表情、声のトーン、会話の間など自然すぎる。

禁止用語リスト…あるなら見てみたい。

岸辺露伴の家での泉京香と岸辺露伴のネットにたいしてのやりとり

岸辺露伴「もうインターネットは十五が調べ尽くしてるよ」

泉京香「でも新しい情報があるかもしれませんよ。ネットはリアルタイムで更新されますから。」

岸辺露伴「キリがないとも言える。デマと真実が大量にしかも無表情に並んでいるからな。こっちに情報が何もない場合それを見分けるのは僕でも意外と時間がかかる。」

これはドラマオリジナルで視聴者に伝えたいメッセージなんだろうな。

場面が変わって志士十五の部屋。

猫飼っている設定なんだ。

寝付けずくしゃがらを調べる。

シーンが変わり泉京香と平井太郎が話す。

記憶喪失の太郎君にネットばかりでなく自分の足で調べてみたら?と言い、自分も「自分の足でか…」と何か閃いた感じで一週間後の古本屋のシーンへ。

原作では1ヶ月後だったよ。

志士十五見た目的にもやつれてヤバそうになっている。

役作り半端ねぇ。

高架下みたいな場所に移り志士十五と岸辺露伴がやり合う。

殴りそうになるが寸土目する。

その後のジョジョ立ちが美しすぎる。

追い込まれた人間の表情が観れたからまぁ良しとするか…と言って家まで送り届ける。この時点でかなりヤバそうな雰囲気になる。しゃべりもくしゃがらくしゃがらし始める。

優しさでピザを送り届けるようにお願いする。

泉京香が訪れて志士十五の担当者を発見したという話を聞く。

「志士十五先生に引き受けてもらって安心した」と…ミラグロマンみたいじゃあない。

そうこうしているうちに志士十五がどうやって知ったかは知らないが岸辺露伴の家にピザを持って来る。

くしゃがらピザだーッ!って。

完全にイッちゃっている。

完全にイッちゃっている演技上手すぎる。

なぜかヘブンズ・ドアーをみられる事を嫌い泉京香を部屋からだしてからヘブンズ・ドアーをして読むと…袋とじが!

袋とじが「くしゃがら」「くしゃがら」「くしゃがら」「くしゃがら」と騒ぎ始めるヤバイッ!

うおりゃーって何かを書きこみ静かになり泉京香が部屋に入ると志士十五はサッパリとしていて今まで自分に起きていた現象についてもチンプンカンプン。

家に帰れ!と言われ帰る志士十五。

あまりの変化に為疑問をもち岸辺露伴に聞くと「軽い催眠療法を施した」と…

なんか腑に落ちない感じだが泉京香も無理矢理帰らせる。

泉京香が催眠療法という単語を聞いて何かを閃いたような閃かないような…

場面が変わり先程の古本屋では古本屋の店主が「くしゃがら」にとりつかれてしまっている。志士十五と同じくヘブンズ・ドアーで3日間の記憶を消す。

「くしゃがら」は細菌やウイルスのように好奇心に寄生するようなものだとしたら…と推測するがイカンイカンと頭をふり

「不用意な言葉は使わないに限るな」

と言って締める。

~まとめ~

今回のくしゃがらはハッキリいって『志士十五』回。と言っても過言ではない。

森山未來さんの演技がくしゃがらという不気味な単語をより引き立てている。

前回の富豪村ではあまり派手アクションは無かったが(まぁ今回も派手なアクションは無かったが)志士十五の存在が物語に分かりやすく緩急をつけている。

このくしゃがらの原作は「岸辺露伴は動かない」ではなく「岸辺露伴は叫ばない」である。

志士十五の為に(漫画のネタになるからというだけの動機ではないかもしれないが)めちゃくちゃ動いている。調べたり、助けたり、ヘブンズ・ドアーを使ったり。

しかし、叫んではいない。

禁止用語リストを見ても文句を言いつつ従い、志士十五が狂っていく過程でらしくない「気にしない」という選択肢をすすめたり、ヘブンズ・ドアーで今までみたこともない袋とじを発見したときも触らずにどうにかスルーするという行動に出る。

つまり叫ばないというのはスルーする。

岸辺露伴らしくない行為で悪く言えば「見て見ぬふり」良く言えば「君子危うきに近寄らず」という好奇心の塊である岸辺露伴とは思えない行動を叫ばないという表現で表しているのではと僕は考える。

どうだろうか?

前回よりもジョジョ味があると感じたのは「この~」という表現が2回あったことと岸辺露伴のジョジョ立ちがより洗練されたという2点が多きいのではないだろうか?

このシリーズにはスタンドという概念はないが、もしスタンドという概念があると仮定するならば『くしゃがら』はやはりスタンドなのでは?と考える。

アヌビス神、スーパーフライ、チープ・トリック、ノトーリアス・B・I・Gのように本体が死んでも継続するスタンド。

とある言語学者が死してなお残したスタンドと考えるとロマンチックである。

最後のワンカットが分かりにくいと思った人は原作を読むと分かりやすいですよ。

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